六旬館に行ってみた

六旬館に行ってみた

 今日、六ヶ所に行ったついでに、こないだニュースになっていた六ヶ所村に新しくできた道の駅「六旬館」に寄ってみた。ろっかぽっかに入っていく道の入り口で、八戸や三沢から来たら寄っていってね、ついでにろっかぽっかでお風呂入っていってね、くらいのコンセプトなのだろうが、印象に残ったことが2つある。
 ひとつには、トイレの中が、これでもか、と思うほど大量のグリーンで飾られていたことである。アイビーとか、全部ホンモノ。全てのトイレのドアにアイビーの鉢植えが吊り下げられ、手洗い場の前には隙間なく素焼きの鉢が並べられ観葉植物が飾られている。トイレは新しいし、きれいで快適なのだが、これほどまでにグリーンを飾りたいというのはどうしてか。やましいからなのではないのか。六旬館は、村が交付金などを活用し総事業費約7億2400万円をかけて建設した。彼らは六ヶ所の自然を破壊していると自覚している。だからこんなに、これでもかというほど生の植物を飾るのだ。
 2つには、建物は広く、休憩所の椅子とテーブルも新しくて広くていいのだが、通常道の駅というのは地元の農家の方々が作った野菜や花が所せましと並べられお客さんで混雑しているものなのだが、野菜を並べる台がスカスカ。品物が全然足りないから広島産のレモンとか、なんでこれがうここで売られるのかわからないものを売っている。それでも台はまだスカスカ。
 野菜は安かったが、六ヶ所の農家は、多くは単一栽培なので、こういう道の駅にいろいろな野菜を出すほどの余力はないのだ。そして、そのことがもはや六ヶ所村の農業が先細りでどうしようもなくなっているということを露見させてしまっている。

引き揚げと指

引き揚げと指

最近の民主文学に、満州引き揚げの時の記憶について書いた人がいる。わたしは、その作品を読んで大変な衝撃を受けたのだが、わたしが尊敬している評論を書く方が、その作品としての未成熟について書いておられるのを見て少なからずショックを受けていたのだが、昨日、その作者のお兄様が、引き揚げのときの記憶について誠実に講演されたということを知った。また、昨日研究室を引き払うので欲しい本があればあげるよ、と言っていただいてもらってきた本の中に母子愛着の本があったということと併せて、母のことを考えている。

わたしの母は、9歳で樺太から引き揚げ、虻田の親戚に世話になったのを皮切りに、小学校を10回転校。授業についていけなくなったのを見かねた親切な担任が分数の補習をしてくれた時「2分の1というのはこうなの、2分の1のまた2分の1になると4分の1になるの。わかった?じゃ、これ、食べなさい」と言って、切って分けてくれた羊羹が、忘れられないほどおいしかったのだという話は、母は、本にまで書いた。そして母は、中学の頃、授業が終わると制服を着替え、もんぺに履き替え、紋別の港に鍋を持って魚くずをもらいに歩いたそうな。裏庭で畑を作り、わたしが魚くずをもらいに歩いている時間、肉が買えないから油揚げを入れてカレーを作っている時間、友達はみんな勉強しているんだろうなと思って泣いたという話も、何度も何度も聞かされたのである。

わたしが4歳にもなって幼稚園に行かされることになった際、親が迎えに来てくれるかどうかを異様な異様なまでに気にしたのだ、ということを、亡くなった母方の祖母がよく話していたのだが、そういう意味では、まさにわたしこそは、母子愛着不全であったに相違ない。

わたしの母のとんでもない心配症と、一夜にして貯金と学資保険を紙屑にした恨みを忘れるものかという政府不信と、「銀行券」をあてにするなという信念と、結局人間は頭の中に蓄積されたものしか持って逃げられないという強迫観念、の中で育てられたわたしが、ストレスを感じると親指をむしるという、我がアイボウに言わせれば、いわゆる「自傷行為」を繰り返すということについては、わたしは、それを一種の戦争被害だと考えている。わたしの母の悲観的で0か100か、しか考えない性格についても。

戦争被害というものは、様々な形で現れる。わたしの母は、幸せになりそうになると不安になり、幸せにならないように努力し始める。幼少期に幸福な人生を恵まれた人には想像もできないだろう。わたしについてもそうであり、わたしが挫折している間母は優しいが、わたしが自由に、生き生きと活動するようになるのはダメなのだ。それは間違った生き方だ、と、我が母は直観的に考えてしまうのだ。正しい生き方というものは、やりたくもないことを、歯をくいしばり、我慢を重ねて耐え忍ぶ、ということなのだ。

「バックギャモン」

「バックギャモン」

「バックギャモン」というゲームがあることは知っていたのだが、やったことはなかった。なぜ名前だけ知っていたかというと、井上陽水の歌の中に出てきたからである。その歌は、「チャイニーズフード」。ジュリーがカバーしたのもある。バックギャモンで手に入れたクラブでみんなでチャイニーズフードを食べようというような歌詞で、陽水の風変りな曲の中でもかなりなレベルに風変りなので印象深く、16歳くらいから、バックギャモンというのを一度やってみたいと思いながら52歳の今日までそのチャンスがなかったのだ。

純さんの娘さんと夫君がやっているボードゲームカフェに遊びに行ったので、「バックギャモン」をやってみたい、とリクエストし、長年の夢がやっと叶った。
ルールを飲みこむまでにしばらくかかったが、一度やったらだいたいわかった。返す返すも、純さんが5のぞろ目をパスせざるを得なかったのは痛快だった。

陽水のせいでオリエンタルなイメージがあったので、おそらく古い時代からあるだろう、18世紀頃からあるんじゃないの?と帰りの車で話題にしたら、純は、まさか~!と言ったのだが、今、調べたらバックギャモンの歴史はそれどころではなく、紀元前3000年に遡れるのだということがわかった。

https://www.facebook.com/cafetriple/

想定外の日曜日

想定外の日曜日

アイボウとスケートに行くことにした。高校以来乗っていないので、実に34年ぶりであるが、34年ぶりであっても初めてスピードスケートに乗るというアイボウよりはうまいだろう、「ゴリラ登場」(初めての人がスケートに乗ると、エッジを立てて乗ることが難しい。女性はほぼ全員がインエッジに乗ってしまい内またになり、男性はほぼ全員がアウトエッジに乗ってがにまたとなる。そして体重を片足に乗せることができず、重心がまんなかに残ってしまったまま、両手を、ほぼ全員が前後でなく左右に振るため、正面からみると、ほぼ、ゴリラかチンパンジーの歩行のように見える)を動画に撮り、この欄に書くつもりだった。

ところが、青森のスケートリンクに行って、入場券と貸し靴券を買い、いざ、靴を借りようとしたら、スピードスケートの靴がなかった!!!!!!
ホッケーとフィギュアしかないというのであった!!!!!

ホッケーは、ホッケーをやらなければ楽しくないのであって、フィギュアは踊れないと楽しくない。まあ、フィギュアは、靴も白くてきれいだし、女の子たちが手をつないで滑ったりするのは楽しいだろうから、まあいいとして、何故に狭くてホッケーできないのにホッケーの靴があって、スピードスケートがないのか。スピードスケートって、普通、どこのリンクにもあるよなあ!!!これって、スキー場で貸しスキーを借りようとして、ノルデイックとテレマークがあるけれど、普通のスキーがない、と言われたと同じだと、仰天したのだが、ないものはない。ない。

アイボウは、いいじゃん、一緒にフィギュアかホッケー用を借りようよ、と言ったのであるが、わたしはスピードスケートには乗れるが、フィギュアは全く乗れないのである。現役バリバリ、全国大会に出た年にも乗れなかったのであるから、今乗れるわけがないのである。
なぜなら、スピードスケートとフィギュアは乗り方が全然違うのである。フィギュアは後ろに蹴って前に進むのであるが、スピードスケートは、横向きに足で氷を押さえるのである。蹴ったりしないのだ。そして、フィギュアのブレードの断面は一律じゃないのだ。後ろの方が、凹レンズみたいになっていて、真ん中が凸レンズみたいになってる(確か)上に、つま先のぎざぎざがひっかかって、前のめりに転んでしまう。真ん中に乗ると廻ってしまう。

うんがあ!!!となったが、とにかく乗れないものは乗れないので、やってみるまでもないのであるから、入場料と靴代は払い戻してもらった。
おさまらないのは、せっかくの日曜に体を動かしたかったアイボウなのである。

アイボウは、「こうなったら、スケート買うべ!」と言うのである。そしてこれから時々一緒にスケートもしよう、と言う。
わたしの靴は実家にあるが、もう34年もたっているのではもってきても使えないだろうし、競技用でなければそんなに高いものでもないだろう(わたしの靴はブレードだけで10万したのだが)ということで、その足で、ふたりでゼビオスポーツに行った。そして、「スケート靴売り場はどこですか?」と聞いたのである。そしたら「在庫は置いていません」と言う。

ここまでは、想定内だったのだが想定外はここからで、「カタログも置いていません、取引していません」と言った後、店員さんが「北海道か八戸に行ってください」と言ったのである。

北海道か八戸へ(24ポイント、太字、赤字)

県営スケート場がある青森市で、大手のスポーツショップが、カタログも置いていない!!!こんなことってあるか??
こないだオリンピックで金メダル金メダルと騒いだばっかりだ、小平選手かっこいいなとか、羽生選手かっこいいなと思ってスケート乗ってみたいなと思う子どももいるだろうに、これでは、スケートクラブがないどころか、スケート靴を買えないではないか。

我がアイボウは、さすがにこれから八戸に行くぞとは言わなかったが、このことは、冬季スポーツを推奨している青森県にあるまじき事態であると明鏡欄(地元紙の投書コーナー)に投書しろ、と言ったのである。青森県政を考える会の政策提言にも、スポーツ振興政策を追加しようと憤然となったのであった。

そして、我々は、めったにない休日の、この余った時間をどううしよう、という問題に直面したのである。
私が提案したのは、最近「空海」という映画が封切りになったらしい、それを観ないか、ということであった。世界史は、進路の先生に大反対されながらも履修したのだが、何しろ34年前のことで、ほぼ、完全に忘れているのである。思うに、高校の教科書が全部頭に入っていれば、いっぱしの教養人として扱われるであろう。しかし、ほぼ全部忘れてしまっているのであるから、履修していても教養人になれないのである。

わたしは、高村薫の「空海」という小説を、五所川原の本屋で買おうかなあと思って手にとってみたのではあるが、結局買わなかったのである。外崎文夫先生の個展を見に行った時である。あの時買えばよかったなあ、と今もって思っており、空海の映画ができたと聞いた時から、みたいなあと思っていた。

何しろ、もう帰るより他することがないのであるから、「空海?はあ?」と言っていたアイボウもおとなしくついてきた。
アイボウは、そのあたりは柔軟な人で、与えられた環境の中で最大限楽しもうとすることができる人なので、日常的にも精神的には助けられることが多い。

それで我々は、時間がないので昼食も取らず、開始時間ぎりぎりなのでトイレにも行かず、とにかく、青森コロナシネマワールドへ飛び込んだのである。結構お客さんが入っていて、わたしは内心、ああ、我々が脱原発だ沖縄だといって映画上映会を企画して、これだけお客さんを入れるのにどれだけ苦労すると思ってるんだ、なんで空海だといったらこんなに人が来るんだ、いいなあ、と思いながら映画が始まった。

映画「空海」の冒頭、タイトルに、中国語で「妖猫伝」と出たのである。アイボウは、この段階で「?」と思ったそうである。わたしは、なんとも思わず、良い機会であるので、空海の生涯についてこのあたりで復習しておくのはよいことだと考え、映画を見続けたのである。

ところが、映画は、空海の生涯ではなくて、まあ言ってしまえば、玄宗にかわいがられ楊貴妃に感情移入した化け猫の物語で、セットがすごく豪華だったりだとか、CG技術がすごかったりだとか、楊貴妃役の女優が本当に美人だったなというのだとか、アイボウは、「おもしろかったよ」と言っているのであるが、わたしは、唖然とした口が、今もってふさがらないのであった。

で、結局、高村薫の「空海」を、今、ネット注文したというオチなのでした。こんな長文につきあわせ、皆さんすみません。ごめんなさい。

シェルター

シェルター

 内閣府の調査(平成28年高齢者の経済・生活環境に関する調査結果)では、1980年、65歳以上の男性は19万人、女性は69万人。2010年、男性は139万人、女性は341万人。2025年の見込みは、男性230万人、女性470万人である。大変な勢いで高齢者が増えていくのである。
(平成23年度高齢者の経済生活に関する意識調査結果)では、60歳以上の単身高齢者の年間所得の平均は、2013年で300.5万円である。(あくまでも、平均)年間所得が300万あれば十分なので、一戸建て住宅に一人暮らしする。大変な勢いで、一人住まいする高齢者も増えるのである。
 厚労省の調査(平成25年都市部の高齢化対策の現状)によれば、要介護認定認知症高齢者数は、2010年9月末で280万人で、そのうち一人暮らしが88万人である。2025年見込みでは150万人。大概ざっくりとした試算でも、2025年には150万人の認知症の高齢者が一戸建てに一人暮らしするという状況になるのである。

このような状況への対策として、安否確認サービスが行われているほか、一部自治体では食事宅配、バリアフリーリフォーム助成、見守りサービス、ゴミ出し支援制度等が行われている。
中でも、国立環境研究所 資源循環・廃棄物研究センターの2015年の調査では、自治体の9割近くが、今後高齢化によりゴミ出しが困難な住民が増える、と回答しているくらいで、ゴミ出しは、高齢単身世帯にとっては、かなりな問題であるから、ゴミ出し支援は必要な施策である。
 が、どれもないよりはずっといいが、実際を考えるとどれもかなりうわっつらだなと思わざるを得ない。自治体がそれをやってくれたところで、高齢者が安心・安全な生活ができるとは到底思えないからである。自身の身辺を賄うにも覚束なくなった高齢者が、一戸建てを維持するのは難しい。当然、片づけもできなくなるしゴミもたまるのである。青森は、それに加えて雪片づけが手に負えない。

 いったい、どうすれば高齢者が一戸建てに一人で住むという状況が安全に担保されるのか、ということについて考えて突然思いついたのだが、先般、NさんとTさんと一緒に三内丸山遺跡を見学に行った時、ガイドの人が、三内丸山に住んでいた縄文人は、冬の間、いわゆる「冬の家」にまとまって住んでいたようなのだと言ったことを思い出したのである。小さな竪穴式住居で火を焚き続けていると酸欠になるし焚き木が必要だし効率が悪いので、冬の間だけ大きな家を作ってそこに集まって暮らし、雪が消えたらまた家族毎に小さな家に移って暮らしたようだという話で、冬季間だけ集まって暖かく過ごし、春になったら畑とかあるので自分の家に帰ってひとり住まいするというのは、冬の厳しい青森に大変ふさわしい高齢者の住まい方なのではなかろうか、ということを思いついたのだが。
 実際には難しかろうが、縄文回帰、冬季間に限るシェルター生活を自治体が保障するというのも、夢としてはよい夢なのではなかろうか。
プロフィール

takenami kyoko

Author:takenami kyoko
北海道に18年、青森県に34年住みました。北国の暮らしの中であったことや考えたことを写真とともに書いていきます。

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